齋藤一徳が若者言葉を一刀両断

齋藤一徳が語る現代日本語の問題点

言語というものは、時代によって変化し続けるものです。
昔の日本人が普通に使っていた言葉が、今や「古典」という形で科目になっているぐらいですから。

 

その時代、その時の文化による常識というものが言語には反映されやすく、今でも使われている「垣間見る」という言葉は、平安時代では男性が女性の部屋を覗き見る行為のことを指していました。

 

現代でそんなことをすればストーカー防止条例に引っ掛かり捕まってしまいますが、当時の女性はむやみやたらに男性と顔を合わせることは許されておらず、男性側から女性の部屋を覗きに行くことで、恋愛を始めるしかなかったのです。

 

というように、時代に合わせて言葉は作られ、意味合いを変えながら次の世代へと受け継がれていくことが常ではありますが、では現代の若者たちが使っている言葉はどうでしょうか。

 

いわゆる略語というものが、現代人が多用している言葉の技法の一つです。
これは主に、影響力のある誰かが使っていたり、流行り出しているから皆が使い、それが常識になっていくという流れです。

 

つまり、そこに意味などないのです。
皆が使っているから使っている。正解か不正解かなどは考えることもなく、思考が停止しています。

 

今後の日本語がどのように変化していくのか、私は不安に思っています。